「乳がんステージ4」宣告から4年半経過した現在、治療が完了して再発や転移もなく元気に暮らせています。「延命」と言われる中、どのような流れで助かったのか?実体験として、がん発覚から治療フェーズごとの流れや生活のポイントをまとめました。
目次
乳がんステージ4になって
こんにちは、「がん食事」を管理しているCocoaです。ここからは、乳がんを克服した母(Kinaco)にバトンタッチします。最後までお付き合いいただけると幸いです。ということで、Kinaco、あとはよろしくねッ。
ご紹介にあずかりましたKinacoです。では早速、乳がん発覚から治療の経過について語っていきたいと思います。
今でも思い出すと涙が……同じような思いをしている方、多いでしょうね。。。
あれは、2013年の冬のことでした……
体調異変に気付いてから、わずか6日で「乳がんステージ4」と宣告。
突きつけられた「延命」という言葉は、私にとってあまりにも残酷でした。
頭が真っ白になり、命が有限であることが身にしみて大変戸惑いましたが、この事実を受け入れるのに長い時間はかかりませんでした。
なぜなら、この事実にきちんと向き合うことによって、命をのばすために全力で戦わなければならないと思ったからです。
がんをなるべく悪化させないように、参考にできる生活リズムや体のケアの方法についてたくさん調べました。
しかし、2013年当時いくら調べても、5年生存率などの情報ばかりで、1番知りたかったステージ4を克服した体験談を見つけることがなかなかできませんでした。
乳がんの患者さんが増えていく中で、芸能人だけでなく一般の方も症状の記録をブログとして残す方も増えているため、治療のノウハウを得やすい環境が整ってきました。また、ブログを読むと、「辛いのは自分だけではない。みんな頑張ってるんだ!」と思うことができ、これまでもたくさんの勇気をもらいました。
これからは、読む一方ではなく、自分も記録に残していこうと考えました。
治療の段階に分けて少しずつ生活を変化させていき、最終的にがんを克服できたため、体験談の一つとして自分が取り組んできた生活のポイントとタイムスケジュールをまとめました。
細かいことはフェーズごとに書いていこうと思っていますが、この記事ではまず、乳がん発覚から治療スケジュールなどの全体の流れをお話しさせていただきます。
乳がん宣告と克服までの流れ
身体の異変に気付く
2013年12月14日
身体の異変に気付く
就寝時、身体を横にすると右上半身に神経にさわったような激痛が数秒走りました。右胸がはっていましたが、同年9月の定期健康診断の検査結果に異常がなかったため、ホルモンのせいだと思いそのまま就寝しました。
2013年12月15日
家族に病院をすすめられる
痛みは一瞬であったため目が覚めたときには忘れていましたが、お昼に思い出して念のために家族に触診をしてもらったところ、違和感があるためなるべく早めに病院に行くことをすすめられました。
2013年12月16日
1つ目の病院へ
通いなれた婦人科に行き症状を伝えたところ、外科にまわされました。先生の触診により、急いで検査をしようと言われ翌日に検査をすることに決定しました。
2013年12月17日
1つ目の病院で検査
検査:超音波検査、画像診断:両乳房撮影(マンモグラフィ)を行いました。「がん家系ではないから自分はがんにはならない」という先入観がありましたが、検査の内容から、初めて乳がんの可能性が頭によぎりました。
乳がんステージ4と宣告
2013年12月20日
1つ目の病院で「乳がんステージ4」と宣告
詳細検査と治療で通院回数が増えることがわかり、打診されていた通いやすい病院の紹介状を書いてもらいました。12月17日の検査後胸の痛みが続いたため、痛み止めを処方してもらいました。
2013年12月24日〜29日
2つ目の病院にて検査
紹介状と1つ目の病院の検査結果を持ち転院先の病院へ行ったところ、病気が進行していたらしく短期間でたくさんの検査が入りました。
がんの詳しい症状がわかる
2014年1月7日
転移性、進行性の乳がん、現在6.4cmであることが発覚
「リンパ節(2.6cmなど)と胸筋にも転移あり、原発巣と変形した子ども、さらに孫の代までがんができている」と言われました。緊急を要するため、全ての検査が終わる1月9日から抗がん剤開始。虫歯/歯槽膿漏の検査と、他に残っている病院を2日以内に済ませるようにと言われました。
化学(薬物)療法前半
2014年1月9日〜
抗がん剤治療前半(FEC療法)
抗がん剤治療は前半と後半で薬の種類が異なりました。前半の副作用の症状が大きく、食事がとれない場合はジュースで栄養補給しました。
化学(薬物)療法後半
2014年4月17日〜
抗がん剤治療後半(ハーセプチン療法+ドセタキセル療法)
後半の治療は分子標敵法のため、副作用の症状は前半に比べて軽くなりました。発熱や嘔吐も軽くなったため食事が3食とれるようになりました。
入院そして手術
2014年7月15日〜
入院そして手術(右乳房切除術(全摘出)+右腋窩リンパ節郭清術)
リンパ節切除による手術後の影響や一人で生活ができるようになるまでの回復の流れが不安でした。痛みについても別記事で詳しくまとめたいと思います。
手術後の生活
2014年7月23日〜
手術後〜3ヶ月
リンパ節切除をした腕が定期的に動かさなければ固まるため、手や腕を無理のないように動かすリハビリに専念しました。
2014年10月23日〜
手術後3ヶ月〜半年
手術後から白血球値が上がらないため、冬にそなえてインフルエンザなどのウイルスや感染症に細心の注意をはらう生活を送りました。
2015年1月23日〜
手術後半年〜1年
がんを再発させないようにウォーキングをするなど、食生活だけでなく運動や掃除を今まで以上に行うように心がけました。
2015年7月23日〜
手術後1年〜2年
遠出もできるようになりました。ただ、白血球値が低いためマスク着用は必須。外食として汁なし十割蕎麦や刺身(醤油はつけない)を食べられるようになりました。
2016年7月23日〜
手術後2年〜
白血球値がやっと正常値に戻りました。安心して生活が乱れそうなため、常に気を引き締めて、再発をしないように気をつける生活で現在に至ります。
まとめ
乳がんを宣告されたときは、一瞬にして暗闇のトンネルの中にほうむられたような気持ちになりましたが、絶対に諦めずに治療を続けたことで克服することができました。定期検診前になると夜も眠れない日が続くほどいまだに恐怖心がありますが、これからも再発しないように心がけて、どんなことが起きても絶対に諦めない心を大切にして生きていきたいと思います。